こんばんわ、天禰です。
ライタリアン受講中に「自分の内面が外に現れる」と教えていただいたのですが、言葉通りの意味は分かっていても、実際にはどういう感覚なのかがわかりませんでした。
私の知る世界では紛争が起こっていたりもしますし、これも私の内側にあるのだろうかと思っていました。
それを如実に表した出来事と遭遇し、そういうことだったのかー!と合点がいったことがあったのでシェアします。
例えば、カチンとくるようなことを誰かにされたとします。
身近な人(友達や親子や夫婦やパートナーなど)で一方が機嫌悪く八つ当たりとか、わりとよくある事と思います。
その時に自分が受けた嫌な気持ちを払拭したくて(もしくは分かって欲しくて)、相手についうっかり仕返ししたいって思ってしまうことはあると思います。
これが内面の争いで、この仕返しが大きくなったバージョンが、世にいう紛争なんだと気づき、内面が外の世界に映し出されているということなんだとしみじみ思いました。
これ、気づいたときに、そういうことだったんだ!!って、嫌なことは忘れて、思わずうれしくなりました(笑)
だって気づくって大きい!!
そして思いました。
人は傷つけあう前に言葉できちんと会話することだってできる、そのために人間は言葉を話せるのではないかと思いました。
もちろん、話し合いにならないような、どうしようもないこともあると思います。
瞬間的にイラッとくるのは自然な感情だから止める術もないし、怒りも大事な感情です。
そのまま感じてよいのです。
ただそこで仕返しをしてしまえば、さらに仕返しの応酬が返ってきたり、また大変なことに至ることもあります。
また逆に溜め込んでしまうと、それはそれで不健全でもあります。
し返さず、違う方法でガス抜きをする、吐き出すことは大切だと思いますし、なんなら視点を変えてみると学びをえやすくなります。
人生の中で嫌なことなんていくつもありますが、無駄なことは起こらないです。
すべては自分に教えてくれるためにあるのだという視点に立つと、ガラッと変わります。
今年の桜🌸